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各種活動報告(レポート)全文
※この文章は、高木仁三郎市民科学基金の報告集に掲載したものです。
| 森の手入れで洪水はどのくらい防げるか − 吉野川における「緑のダム」研究 − |
| 1.研究の概要と目的 |
| 吉野川可動堰計画は、150年に1度の洪水のピーク流量を毎秒24,000m3と予測し、その対策として作られたものである。ところがその流量の予測においては、流域の土地利用や植生(森林)がどのようなタイプで構成され、どう管理保全されているかはまったく考慮されておらず、過大な予測であることが指摘されていた。 大雨のとき、水が土にしみこまなければ川は一気に増水するが、広葉樹林のようなふかふかの土は大雨をすみやかに地中に吸収し、水は地表地中とさまざまな経路をたどって川にはいり、その時間差のために増水のしかたはなだらかになる。広葉樹などの自然林と荒れたスギ・ヒノキの人工林を比べてみると、このしみ込むスピード(浸透能)が全く違うことは、これまで経験的にはよく知られていたことであり、私たちはこれが洪水のピーク流量に影響しないはずはないと考えた。 吉野川流域面積は、その75%を森林が占め、うち65%がスギ・ヒノキの人工林で、さらにその多くが間伐などの手入れが不十分な状況(放置人工林)である。 本研究の目的は、一斉拡大造林により流域の山が荒れていた時に予測した洪水時のピーク流量(過大評価)を、その後、森林が生長してきた現在の流域の治水機能を反映したものに是正するとともに、現状の放置人工林を適切に手入し、針葉樹と広葉樹の混交林に転換することによって、洪水のピーク流量をどれだけ抑えられるかを数量的に明らかにしようというものである。さらにこれを可動堰の代替案としてあらたな河川計画に生かし、ダム等に頼るこれまでの「河道主義治水」を抜本的に転換させることである。この「緑のダム」の治水効果を、大河川で定量的に把握する研究は日本で初めてことである。 |
| 2.住民による代替案作成 |
| 徳島市民による住民投票によって可動堰計画は白紙となったが、国はなお事業の必要性を撤回しなかった。このため住民たちは、可動堰への反対運動にとどまるのではなく、みずから吉野川の将来像を考え、流域住民の立場から科学的な代替案を作ろうと研究を始めた。2つのテーマを考えた。一つは自然共生型のモデルである第十堰の保全であり、もう一つは豊かな森を作り洪水流量そのものをさげることである。 そう遠くない将来、2,500もの日本のダムは次々と土砂に埋まり老朽化する。残されるものは自然破壊と災害の危険、そして破滅的な財政赤字だけである。いま使い捨ての近代ダムに代わり1,000年持つ河川技術のしくみへの転換が求められているのである。しかしながら、縦割り行政や政官財の利権のしくみのために、行政の動きは極めて鈍い。 住民たちが、可動堰計画を再浮上させないよう取り組んだ代替案のテーマは、あるべき日本の川をとりもどすにはどうすればよいかという、河川行政が直面しているテーマでもあった。 この「緑のダム」の効果が数量的に把握できれば、全国の河川計画に豊かな森づくりという新たなテーマが導入され、川をコンクリートで固めてきた日本の河川行政の大転換が始まるだろう。また同時に、新たな国土保全のための森林整備事業として、その担い手である中山間地域の構造的な活性化をはかるための強力な根拠ともなるであろう。 |
| 3.研究者との連携 |
| 2000年4月、住民たちは代替案作成のための新たな会を発足させた。それが「吉野川第十堰の未来をつくるみんなの会」である。(のちNPO法人「吉野川みんなの会」となる) みんなの会は、住民と研究者の共同作業が不可欠だと考えた。科学的検討をおこなうため研究者の参加を呼びかけたところ、森林生態学、森林政策学、河川工学、経済政策などさまざまな分野から13人の研究者が集まり、独立した研究者グループとして「吉野川流域ビジョン21委員会」がつくられた。 社会的関心を広げるため委員会の議論は公開でおこなわれ、国土交通省や徳島県、徳島市など行政にも参加を呼びかけた。緑のダムや第十堰保全に批判的な専門家にもオブザーバーとして参加してもらい、同じ場で議論をした。膨大なデータ資料の収集や現地調査には、みんなの会の住民パワーが力を発揮した。国への情報公開請求が精力的におこなわれ、3年間で28ヵ所444ポイントの現地調査には、延べ数百人の住民たちが手弁当で参加し、地元自治体や林業関係者の協力も得た。 研究予算3,200万円をどう集めるかが難問であった。みんなの会は知恵を絞った。街角のお店に「第十堰基金箱」を設置して寄付を呼びかけたり、「吉野川カード」という社会貢献型クレジットカード(買い物をすれば一部が自動的にカード会社から会に寄付される)を発行したりした。高木基金(※1)の助成決定は、地元マスコミにとりあげられ、この研究の意義を広めるうえでも大きな役割を果たした。 そんななか、徳島市はこの研究を高く評価し、研究予算の半額にあたる1,600万円の補助金を付けた。国が河川整備計画を作る際には、自治体の意見を聞くことになっている。徳島市は、住民投票を実施した自治体として、可動堰反対の立場から国に代替案を提言すべく、市議会全会一致の議決をもって、同委員会に正式に研究を委託したのであった。(※2) 住民運動が単なる反対運動にとどまるのではなく、住民自身があるべき代替案を考え、これを基礎自治体が支援し、川の将来を決めていくという、これまでになかった河川事業の新しいスタイルが吉野川で生まれつつあるといえよう。 |
| 4.吉野川の洪水と森林の変遷 |
| 吉野川の基本データを見てみよう。川の長さは194kmで全国12位、流域面積は3,750km2で17位である。まあ大きい川に属するという程度であるが、群を抜くのは洪水流量である。国が150年に1度の規模として想定した洪水(基本高水流量)は24,000m3/秒でダントツの全国1位である。昭和57年の工事実施基本計画改訂によって、それまでの17,500m3/秒から一気に引き上げられた。 「昭和45、49、50、51年相次いで計画規模の大洪水が頻発したため」(吉野川百年史※3)というのがその理由であるが、吉野川の既往最大値が昭和29年の14,900m3/秒であったからいかにも過大との印象を免れない。また、昭和40年代半ばから50年代初頭(1970年代前半)に、なぜ洪水が頻発したのであろうか。 江戸時代から、上流の高知県で大雨が降ると、吉野川下流では晴れているのに、急激に増水することがしばしばあり、「土佐水」といって恐れられた。熊谷幸三によれば、吉野川で洪水被害が多発する時期は、上流の高知県で森林伐採が集中的におこなわれた時期と一致していた、という。(※4)かつて日本の近代的川づくりのためにオランダから招かれた工師デ・レーケが「吉野川検査復命書」(※5)のなかでもっとも力説したのも、森林荒廃の防止、つまり治山の重要性、であった。 さて1970年代、吉野川の山々には何がおこっていたのだろうか。 たしかに、この時期流域の森にはかつてない大きな変化が起こっていた。国の拡大造林政策によって、自然林が一斉に皆伐されスギ・ヒノキ林に変わっていたのである。人工林への急激な転換は60年代から始まった。その結果、1970年にはまだほぼ同じであった面積比率は、1980年になると自然林の37.5%に対し、人工林は62.5%を占めるようになる。洪水が相次いだ70年代前半、山で起こっていたのは一斉拡大造林事業による自然林の一斉皆伐という事態だったのである。 |
| 5.研究の方法 |
| 森林の治水機能は、雨水が土中にしみこむスピード(浸透能)と土中に水を貯める容量(貯水能)にある。そこで、3年におよぶ「緑のダム」機能の研究は、次の手順でおこなわれた。 @吉野川全流域を対象とし、河川流量(水位)測定点における過去数十年間の河川流量データをファイル化する。さらに、過去数十年間の土地利用形態、森林植生別面積(以上、ランドサットデータなど)、面積比率、間伐の状況などの情報(林業統計資料など)も定量的に整理し、集水域ごとにデータベースを作成する。 A各小流域において地形、地質、植生(森林タイプ、現存量、管理状況)を調べ、その小流域内において放置人工林と自然林(および強間伐林※6)の雨水浸透能と貯水能を測定する。なお測定は、林相以外の条件をそろえるため、同一斜面で隣接する場所を選定した。 B各集水域と各小流域における上記のデータを元にして、雨水が川に流出する過程をシミュレートするためのタンクモデル(※7)を構成し、係数値を決定する。 C上流から下流にいたる河川流量測定点において、構成されたタンクモデルを使用し、各集水域における人工林の間伐、混交林化にともなって、豪雨時における河川流量がどのように変化するか、を予測する。 D人工林の間伐施業が林業や中山間地域の地域振興に及ぼす影響を解析評価するとともに、吉野川における可動堰計画に代わる代替案を作成する。 |
| 6.研究の結果 |
| 森林の治水能力を測る重要な指標である平均浸透能は、林相の違いによってどのくらい違うのであろうか。28ヵ所444ポイントの現地調査から次の結果を得た。 @ 自然林は放置人工林に比べ2.5倍、伐採跡地や幼齢林に比べ5倍の浸透能がある。 A 強間伐して10年以上経過した人工林は、放置人工林に比べ約2倍の浸透能がある。 つぎに、浸透能が森林の変遷に伴ってどう変わったかを見てみよう。 吉野川流域の森林は、60年代後半から70年代に自然林からスギ・ヒノキの人工林主体へと大きく転換したため、70年代〜80年代初頭にかけて、流域の平均浸透能は急激に低下した。 1990年になると、これらの人工林が壮齢林に成長したため、流域の平均浸透能はある程度回復した。しかし2000年現在、これらの人工林は手入れが不十分な状態(放置人工林)であるため、回復は頭打ちとなっている。 そこで、雨量と河川流量の関係を再現しうる計算モデルとして、60年代初頭型、70年代型、80年代型、90年代型の4種類のタンクモデルを作成し、旧建設省が150年に1度の洪水ピーク流量24,000m3/秒を算出するのに用いた過去10回の降水量を、同様に与えて、それぞれピーク流量を算出した。 1961年モデル:約18,000m3/秒 1974年モデル:約22,000m3/秒 1982年モデル:約20,600m3/秒 1999年モデル:約19,000m3/秒 その結果、洪水ピーク流量は、森林の治水機能の変遷と密接に関連していることがあきらかとなった。すなわち、 @ ピーク流量は、浸透能が最も低い1970年代が最も大きく、浸透能が回復するにつれて小さくなっている。現在では、旧建設省の24,000m3/秒は明らかに過大である。 A さらに浸透能が高かった1961年の森林状態に戻せば、ピーク流量を約20%低減することが可能である。 以上の結果に基づき、流域の人工林を20年間かけて強間伐をおこなった場合のピーク流量を予測したところ、2025年には18,000m3/秒、2035年には17,000m3/秒となった。 現在の治水計画は、新たに4つのダムを建設して、24,000m3/秒から18,000m3/秒に洪水流量を減らそうというものであるが、150年に1度の洪水に対しても新たなダム建設は必要ないことがあきらかになったわけである。 また、その間伐総事業費は130億円と推定されるため、毎年7億円の公共投資が生まれることになり、間伐にともなう従来の補助金とあわせると、年間15億円から20億円の地元への投資となる。これは、巨大ダム事業と比べ、過疎化した山村にとって持続的な地域振興や林業経営へつながる新たな公共事業でもある。 我が国では、古来より、川を治めるには山を治めよ、と言われ続けてきた。いま流域面積の7割を占める日本の山が荒れている。これまで営々とダムとコンクリートで洪水を河道に閉じこめてきた「線の治水」から、洪水量そのものを押さえて被害を減らす「面の治水」へ重点を変える時代がやってきたのである。住民と研究者によって生まれたこの研究がその扉をあけるきっかけになればうれしい。 |
| NPO法人吉野川みんなの会 姫野雅義(ひめのまさよし) |
| ※注釈 |
| ※1:「高木仁三郎市民科学基金(略称:高木基金)は、2000年10月、62歳でこの世を去った市民科学者、高木仁三郎の遺志により設立されました。高木仁三郎は自分の遺産を元に基金を設立し、彼の生き方に共鳴する多くの人から広く寄付を募り会員になってもらい、次の時代を担う若い市民科学者をめざす個人やグループに対し資金面での奨励・育成を行ってほしいとの遺言を残しました。」高木基金ホームページより。 ※2:その成果は、2004年3月、「吉野川可動堰計画に代わる第十堰保全事業案と森林整備事業案の研究成果報告書」にまとめられ、NPO法人吉野川みんなの会及び徳島市に提出された。その概要版は徳島市のホームページに掲載されている。 ※3:「吉野川百年史」平成5年建設省四国地方建設局徳島工事事務所発行。 ※4:「吉野川辞典」(財)とくしま地域政策研究所発行の「林業」の項を参照。 ※5:「吉野川検査復命書」明治17年、吉野川第1期改修工事に先立ち、デ・レーケがとりまとめた調査報告書。 ※6:「強間伐」1haあたりの立木数を約1,000本にするのが一般的な間伐の基準であるが、混交林化させるためには、45年生で600本にする間伐基準が理想的である、とされる。(「吉野川流域における「緑のダム」計画の経済的効果」) ※7:「タンクモデル」流域に降った雨量から河川流量を算出する計算モデルのこと。山の斜面土壌を表層、中層、深層の3つのタンクとみたてることから、こう名付けられた。 ※なお本文中の各図表は「吉野川可動堰計画に代わる第十堰保全案と森林整備事業案の研究成果報告書」(平成16年3月吉野川流域ビジョン21委員会)より転載したものである。 |
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